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他人に向けて言葉を尽くすという行為は

今日は一般論、しかもかなり抽象度の高いことを書いてみようかと。

小論文に限らないと思うのですが、他人に向けて言葉を尽くすという行為は、少なくとも自己と、その言葉を伝える相手が、完全に同じ考えを持っているわけではないという前提のもとになされるはずです。

自分と、自分の言葉を伝える相手が、完全に同じ考えを持っているならば、言葉を尽くして何かをその人に説明しようという動機そのものがなくなるわけですから。

しかし、だからと言って、自分と、自分の言葉を伝える相手がどのくらい別の考えを持っているかは状況によるわけです。例えばプロ野球で言えば、巨人ファンである二人の会話は、巨人ファンとアンチ巨人である二人の会話に比べて、より少ない言葉で「何かを伝えた感」にひたることができるでしょう。巨人ファンであるAが、巨人ファンであるBに対して、

「やっぱり打線がつながらないとダメだね!」

と書けば、話題は巨人のことであり、最近の打線の不調のことを残念がっているという事柄まで相手に伝えた気になれるわけです。

しかし、巨人ファンであるAが、アンチ巨人かつ阪神ファンであるBに対して、

「やっぱり打線がつながらないとダメだね!」

と書けば、これは巨人のことなのか阪神のことなのか、阪神のことであるならそれはAがBに対してケンカを売っているのか皮肉っているのかなど、この言葉だけでは伝わらないであろうことがたくさんあるだろうな、と予想できるわけです。

受験生の小論文を読んでいて、年を追うごとに少しずつ強く感じることは、ケータイ文化が年を追うごとにより多くの受験生に浸透しており、そのせいで、1日あたりの平均的なメールのやりとり量は年を追うごとに少しずつ増えているはずであろうにもかかわらず、「自分と全く考えが違う他者がいる」という想像力が決定的に欠けている文章が増えている点です。

この現象は、かなり厳しい言葉で表現すれば、まだ自己が他者と分化していない、未分化の状態であるということです。「自分が感じていることは、きっとほとんどの他者も同じように感じているだろう」という前提を無意識に置いてしまっているからこそ、「自分の意見を書け」と言われても、結論だけ書いて、あとは何を書いていいかわからないという状態になるわけです。理由や具体例を書こうにも、どのレベルまで掘り下げて書けば、読者に伝わるのかが実感として全く想像できない。こういう状態は、冗談ではなく、幼児的全能感に浸っている3歳児レベルの心理とあまり変わらないのです(確か、エリクソンという偉い人が、何歳でどのくらいの状態という分類をしていたと思います)。

受験生が日常においてケータイメールを多用しておきながらも、そのメールにおける「言語使用」という営みが、「他者に主張を伝える」という営みにつながっていかないのは、そもそもケータイメールを打つという営みが、「似たような考え方を持つ人同士の間」でだけ行われているからなのでしょう。

しかし、それは事実なのか、単なる自分の願望なだけなのかという区別をしていない受験生が多すぎると感じるのは私だけではないはずです。なぜなら、そのような、「お互いが似たような考えを持っている」という前提を破ろうとするメンバーが身近に出てきた場合、

「空気読めよ!」

という言葉が出てくるからです。「空気」という言葉が必要な時点で、「この集団は、同じ考えを持っていなければならない」という「ルール」があることに他なりません。しかも、その「ルール」を破ろうとする人間がいることを察知し、その逸脱行為を責めることで、そのルールを維持しようという力学を、「空気」という言葉で維持しようとさえしているわけです。

これも残酷な言葉で恐縮ですが、そういう「文化」って、小学校高学年によくあるような、クラスの女子の間の派閥争いにそっくりです。私が小5、小6の時は、クラスの女子は必ず誰かの派閥に所属しており、うわべはその派閥の中の子だけで遊んでいました。しかし、ある派閥に所属している子も、本音を言えばその派閥のボスが嫌いで、その派閥を抜けたいのだが、代わりの派閥がないのよねなどというグチを聞いたことを私は今でも覚えています(笑)。

「自己と他者は違う存在で、考え方なんて違っているのが当然だよ」という前提でクラスメートを見ることさえできれば、そんな派閥争いなど、ただ疲れるだけだとすぐにわかりそうなものなんですけどねえ。

私は、個人としてやっているブログで、かなり攻撃的な口調で記事を書いている自覚がありますが、それは、ブログを開設してから今までの間に、実に多くの人と不毛なレベルでの「論争」を繰り返してきたからです。お互いの考えの前提を見せ合うような、有意義な論争なら腹は立たないのですが、とにかく「結論」が先にあって、それと違う結論を持つ人間を、徹底的に反論し、時には人格攻撃しながら潰そうとする。いわゆる「右翼と左翼」の対立のようなものです(これも、極右と極左はそっくりだと私は思っているのですが)。

ただ、何となく自分と同じ主張を持つ人を集めるブログよりは、異なる意見を持つ人にも読んでもらって、逆にどういう「ざらつき感(=自分の意見との摩擦)」をその人が感じるかを自覚してほしいと思うのですよ。だからと言って私の意見が唯一無二の正しい考えというわけではなく、イチプレイヤーとして、数ある意見の中の一つ、というつもりで書いてはいるのですが。

そんなわけで、最後は自分のブログのいいわけみたいな記述になりましたが、この記述がなければ、「じゃあお前のブログはどうなんだよ」と突っ込まれるだろうと予想したからこそ書いたわけです。だから、今日のまとめは結局こうなります。

「他人に向けて言葉を尽くすという行為は、自己と他者が異なる意見を持っている場合の方が多い、という前提があるからこそ、力いっぱい行われる。」

みなさんも、自分と他人の意見の何が違うのか、普段は友人と「意見」などあまり語らないでしょうが、自分と他人について、日々その点を観察しながら受験勉強にはげんでほしいものです。そういうクセを身につけることは、小論文に絶対に生きてきます。

http://shirakawajuku.com/
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・白河夜船

Author:・白河夜船
白河塾の塾長ブログをFC2ブログに引っ越しさせました。wordpressがアップグレードできず、書式をいろいろ変えたりすることが大変だったので。今後はTOEICなどにも役立つネタを書ければいいなあと思っています。

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