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結局、入試前日になっても何も理解していなかったバカ女3人

私が出講している校舎には「元入り口」がある。

生徒が校舎に入るときには、必ず受付がいる場所を通すために、わざと閉鎖した入り口だ。

そして、その「元入り口」の近くに、3人くらいが座れる円卓一つと、4人が向かい合って座れる四角いテーブルが一つある。

今日(正確には昨日)は寒い。その「元入り口」から、冷たいすきま風がヒューヒューと吹きすさむ。

こんな寒い日に、まだ私大入試を残している、基礎クラスから夏期講習のときから上がってきた女子三人が、少なくとも30分以上もコソコソしゃべりながら、勉強している「フリ」をしていた。

なぜ「フリ」と書いているのか。それは、その三人が勉強しているはずの机の上に、何も勉強した跡が残っていないからである。電子辞書も閉じられている。ただ昨日受けてきた私大の問題を開いている。しかしその科目を丁寧に見直している跡は全くない。

さらに驚いたのは、そのうちの一人の前には、プリントもテキストも、電子辞書さえもなかったことだ。その生徒こそ、明日入試を控えている生徒だった。


私は、冬期直前講習で「孤独に負けるな」とひたすら言い続けてきた。それは、入試のための勉強は、最後は「自分一人」でやらなければならないからだ。リビングで勉強しないと寂しくてたまらない小学生ならまだしも、彼女たちは生物学的には立派な18歳である。


もうここまで書けばわかるだろう。このバカ女3人は、私の冬期直前講習に出席し、ひたすら「私はがんばってますアピール」をしており、「先生が言ったこともわかってます!」オーラも出していたが、

そ れ ら は 全 て、 真 っ 赤 な ウ ソ だ っ た、 ということである。

円卓上に何もなかった生徒も、私からの詰問の連続に、ようやく重い口を開いた(=その前までは、必死に「私は今勉強しています」と言い繕っていた、ということだ)。

曰く、「明日入試だから、もうその大学の別学部を受けた○○ちゃんに、どんな問題が出るかを見せてもらっていた」と。

しかし、その生徒の円卓上には、その「問題」とやらはどこにもない。何のことはない、その「○○ちゃん」がその入試問題を持って、めくっているだけなのである。

入試前日なのに、

1 一人で勉強するのが寂しいから「群れる」

2 冷たいすきま風が吹きすさむ所に少なくとも30分以上も平気でいられる(=自分が今晩カゼを引くリスクなど、全く想像できない)

3 その「明日入試を受ける生徒」が、30分以上も、何も勉強していなかった(=さらに詰問すると、自習室から降りてきたとのこと)


私は言った。

「自分たちの今のその姿が本当に『勉強している』というものなら、今すぐウェブカメラでこの様子を撮って、キミたちのご両親の家へ同時中継していいのか?」と。

生徒は即座に

「いやです」

と否定する。

この発言で、このバカ女3人も認めたのだ。自分たちが30分以上も「勉強」などしていなかった、ということを。


私は、このバカ女3人を、「自分の教え子」という記憶領域から、永遠に消去することを決めた。

今日は高2の授業だったので、高2生にも普通に伝えた。その上でこう言った。

「お前ら、来年の今頃、こんな状態だったら、タダじゃおかねえからな!」


そこで質問。一連のこの私の言動は、今流行の「教師による虐待」「教師によるいじめ」「教師による暴力」なのだろうか?

少なくとも私は、このバカ女3人が全員、全大学に落ちようとも、何とも思わないが。

ゆとりなのもいい加減にしてほしい。

ちなみに、何でも恣意的に「虐待」「いじめ」「言葉の暴力」などとラベリングする行為は、その本質において「ゆとり」と全く同じである。大人が腐っているから、子供も腐るということだ。


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不安で泣きたいならいくらでも泣けばいい

2月1日。2年生の授業のために校舎へ。

いろいろ印刷したかったので、2時間以上前に校舎に到着(他の事情もあるが)。

しかし、結局何も印刷できず。

普段教えていない生徒も含め、入試直前の高3が過去問の英作文を持ってきて添削を求めてきたからだ。

しかし、こういうことに対するペイは一切ない。そのくせ平気でヒトの首を切るのが今の塾、予備校業界だ。

そのことにグチるのは某ヘタレのナルシスト予備校講師に任せるとして(笑)、ここで書きたいのは、英作文添削の後で、「第一志望どこよ?」などと聞くと、泣き出す生徒がいたということだ。

突き放すつもりでも何でもなく、不安で泣きたいならいくらでも泣けばいい。その生徒にもそう伝えた。それで少しでも楽になるなら泣けばいい。ただ、ひとしきり泣いたら、また努力に戻らなければならないと。

特に女子が泣くと、その場をとりあえず収めるために「大丈夫だよ」などと言う究極のバカが講師だけでなく、チューターにも普通にいるのが今の塾、予備校であるが、

本人が不安で、英語の偏差値だけから見て、明らかに第一志望大学への偏差値が20弱足りない生徒に対して、「大丈夫だよ」と、その場を繕うためになだめることの方が、よほど残酷なことだとわからないのだろうか、そういうバカは。だから「究極のバカ」と書いたのだ。

「大丈夫」でも何でもない。むしろ「きわめて可能性は低い」のだ。

「英語だけから見ると、第一志望大学に合格できる可能性は10%。しかし10は『ゼロ』ではない。その10%を20、50、そして70に上げるかどうかは、試験までの自分の行動だけにかかっている。1日6時間以上は寝て、それ以外の時間をどう使うか、自分にどれだけ『自分が受かるんだ!』と自己暗示をかけられるか、そこが勝負だな。」と普通に言う。

生徒は「握手して下さい」と泣きながら言う。それだけ不安なのだろう。

「選挙と同じだな。最後まであきらめないかどうかだ」と笑いながら握手をして、送り出した。


講師としては、第一志望がそこなら、なぜそれを早く言わないのだ、に尽きる。

しかし入試は、他科目も含めた総合点、偏差値総合スコアでの戦いだ。他教科での貯金も含めて、いろいろな奇跡を足していかなければ、本当に10%も可能性はないかもしれない。

しかし、奇跡は努力の先にだけある、ということを、齢だけは重ねた私は経験で知っている。

たとえ第一志望に合格できなかったとしても、あの女子は本命の1週間前に大泣きした。それは決して逃げるための涙ではなかったということを、私は一生覚えておくつもりだ。


毎年、そういう生徒はいる。覚えておかなければならない生徒は毎年増えていく。しかし、覚えておかなければならない生徒は、たとえ何十年経っても、覚えておかなければならない。

気がつけばセンター試験2日目・・・

※このプログはwordpressを使っているのですが、タグがめちゃくちゃ使いにくいので、近日別の形に変えると思います。過去記事を移すかどうか・・・そのときの気分とヒマ度次第で。

センター試験2日目ですが、私は午前中にTOEIC SWテスト、午後からは某予備校で、昨日のセンター試験の英語解説を3コマやりました。さらにこれから同僚と情報交換です。


TOEICでspeakingをしながら、

「10秒で何か付け加えなければならないときもあれば、20年経って初めて言葉になることがらもある」

なんてことを考えていました。

センター英語はただ量が増えていくだけですね。その前にあった国語が難しかったようなので、国語と英語の両方を受けた受験生にとっては、これまた今では腐った言葉になった「心が折れ」たであろうと思います。

が、

甘すぎますね。センター国語の過去の平均点推移を見れば、最近の英語なんぞに比べれば、よほど恐ろしいということすらリサーチしていないのに

・「国語のせいで英語ができませんでした!」

などと言いわけする受験生がさっそく何人か校舎へ。言いわけだけは饒舌な受験生ですね。

英語の勉強で辞書を引かないバカはそもそも高校に行くなよ・・・

ひどすぎます。生徒が「辞書を引かない」度合いが。

某日の宿題。上と下が同じ意味になるように書き換えよ。



Thank you for coming here today.

= It is (                    ) (                       ) you (                         ) come here today.



正解はもちろん、上と下を「直訳」すれば、

It is kind of you to come here today.

です。"You are kind"と言い換えられる関係ですから、不定詞の主語はforではなくofになると。

まあ、生徒の答えが、

It is kind for you to come here today.

でも、「想定の範囲内」だなあと思って宿題を添削していたのですが、↓のレベルの答案が今では普通です。





It is thank for you to come here today.





・・・thankを辞書で引き、「うれしい」などの意味の形容詞がない、いや、そもそもthankは形容詞ではなく、「感謝する」という他動詞である、ということすら、辞書で引かないバカども。こういう「まぎれもないバカ」が、今は中高一貫の「できる層」にも複数いる時代となってしまいました。

授業でもこういうバカ答案を平気で書く生徒を名指しで晒して

「オイ、thankの品詞は?」

と聞いてあげました。案の定何も言えない生徒。

でも、こういう「ド級」のバカに限って、授業中は紙の辞書をいっちょまえに机の上に置いたりしているのです(その辞書は受付から借りてきたものですが)。





私の定義する「バカ」は「努力しない人間」のことなので、授業中でも、明らかに予習や復習で辞書を引いていない生徒に「キミはバカすぎるね~。何しにここに来てるの?」と平気で言っていますが、英語の勉強をするのに、しかも「宿題」を解くのに、「意味がよくわからない単語」の「意味」すら辞書で引かない現代の「ゆとりバカ」には、さすがにアドバイスのしようがありません。





改めてここにも書いておきます。英語の勉強をするのに、辞書も引かないヤツは救いようがないバカです。辞書を引かなくていいのは、せいぜい「高校受験組の中2」までです。高校受験組は中3から、中高一貫生は中1から辞書を引かなければ、学校の授業にすらついていけないはずなのですが。。。






ま、こういう筋金入りのバカでも、難しい整序英作文がたまたま1問できたりすると、
「あ、オレやっぱり頭イイ!」
と、安いプライドを満足させ、一向に努力を積み上げないわけですよ。




何とかなりませんかね、この、
「簡単な問題を外したのは『アンラッキー』、
難しい問題が(たまたま)できた方が『実力』と思えるうぬぼれ」。


だからこそ今、多くの会社で
「ゆとりは勘弁してくれ」
という言葉が普通に流通しているんだが。

TOEICと英検の関係

通常の仕事、学問のやり直しに加えて、昨年から仕事の幅を広げる狙いもあって、TOEICも継続して受け続けてきました。


努力のかいがあってか、今夏のTOEICではかなりいい点が取れたので、今後も継続してTOEICを受験し続ける一方で、難関試験の一つ、英検1級にもチャレンジをし始めています。


たまたま数年前に本屋で英検1級の「キクタン」を見つけて買っていました。それをウォークマンに落として電車で聞いていたのですが、


その「数年前」の聞こえ方と、「今」の聞こえ方はけっこう違うと感じますね。


数年前は、まだ英語力が今と比べて「いまいち」だったせいか、聞く単語見る単語のほとんどが「全く見たことがない単語」であり、それを何度も聞き続けるのはかなり苦痛で、ストレスが溜まりました。そのせいで、数年前に英検1級単語暗記にチャレンジしたときは、2ヶ月くらいで断念してしまいました(ああ恥ずかしい)。

昨年からTOEICを本気で受験し始めて、そのスコアを上げるために特にリスニング能力を鍛えようと、これまたウォークマンで、TOEIC公式問題集などの放送スクリプトを徹底的に聞き続けた今、同じ「キクタン」を聞いてみると、単語がわからないなりに、

・まあ、わかんなくてもいいや。わかるところから知識を増やしていこう。

という「余裕」みたいなものが出てきていることに気づきました。これが大きいです。

しかも、ネットで公式サイトから手に入る英検1級の過去問を試しにやってみても、第1問の語彙・語法問題はあいかわらず「わけわからん単語が並んでるな」という状態でしたが、TOEIC対策をがっつりやってきた今は、その選択肢のうちのいくつかがTOEIC対策でもやった単語だったりして、総合点としてはそこそこ点が取れるようになってきています。

英検1級第2問以降、英作文の前までは長文ですから、「学問のやり直し」で鍛えた速読&精読力(笑)がフルに使えますし、そこでつまづいて何度も辞書を引いた単語がいくつも出てくるので、結局「英検1級キクタン」は、そんなにしがみついてやり切らなくても、英検1級は何とか戦えるな、という心の持ち方になっています。

こういう経験から推測できることとしては、(全く私個人による経験に過ぎませんが)、英検1級という「高い壁」(あるいは「高い山」)を目指すには、最初からその壁にガンガンぶつかっていくのではなく、例えばTOEICという、毎回細かいスコアが出る試験を受けながら、毎回の反省を生かして次回につなげていく(つまり、受けっぱなしでは意味が全くない)というプロセスを一度「迂回」するのが効果的だ、ということですかね。

山登りで言う、「高い山を登るために、それより低い山を何度も登って、登り方のコツをつかむ」というイメージに似ているのでしょう。まあ私は登山をするとすぐ貧血を起こしてしまうので登山できないのですが(苦笑)。

TOEICはスピードさえ身につけばかなり高得点(900以上)が取れる、と巷ではよく言われていますが、私の経験では、ただスピードが身につくだけでは絶対900は取れない、と断言できます。そこには、「(公式問題集などで)自分が知らなかった単語の覚え直し、自分が聞き取れなかった部分の分析、その上で速度を上げてさらに聞き直す」という、「くどいぐらいのしつこさ、執念」というものが必要です。そのプロセスの中で、

「TOEICではマイナーと言われている表現だが、知らなかったから知っておこう」

と思って覚えた表現のいくつかが、次回のTOEICでぽんと出たりしたものです。

つまり、TOEICで900以上を目指すには、「TOEICではマイナーと言われていようが何だろうが、問題演習をしていて気になったものは全部マスターする」という欲張り精神と、それを繰り返すというしつこさが必要になるということです。

このくらいの目標でTOEIC高得点をめざすことで、自然と英検1級を乗り切るためのスピードとスタミナ、そして語彙力が身につくのかなと思います。

こう考えると、「英検のためにTOEIC」と言うときの「TOEIC」は、厳密には「低い山」ではなく、

「何度も上り下りするためのルートが比較的安全に確保されている『高い山』」

というイメージの方がより近いのだろうな、と思います。

というわけで、英検1級やTOEICで900以上を目指しているが、どうも結果が・・・という方の参考になれば。

言い古されたことですが、やはり語学は執念ですね。執念と、すき間時間を活用することを習慣化すること。

<大学生へ>できるだけ1年次から英語文献を読むことの重要性

個人でやっているブログの方では、原発やら温暖化、果ては歴史認識問題まで、いろいろな「実際の問題」について、「素人」の立場から、できるだけ丁寧にものを考えた結果を載せています。

その一方で、大学時代からやっていた「学問」のやり直しも試みており、いい年になって英語の文献と格闘している状況でもあります。

この年になって英語の文献と格闘していると、大学、しかも学部時代に、少なくとも英語文献はコンスタントに読んでおく習慣をつけておくべきだったな、と痛感します。

私の出身大学は学生たちに対して「専門信仰」を破壊することから始めるなど、かなり実験的な扱いを受けてきており、その恩恵ももちろんたくさんあったのですが、「学問」としてのアウトプットを出す際には、

・過去の学者たちがどういうフレームワーク(認識枠組み)を設定し、

・そのフレームにはどういう長所と短所があり、

・そのフレームに基づくとどういう調査・分析結果が導けるか。

という点がしっかり身についていなければ、論文など書けないなとシミジミと感じます。そういう点では、大学でいわゆる「専門信仰」を破壊されたのは、大学の側がやややりすぎていたなと、今にしては思います(まあだからと言って恨みがあるわけでもありませんが)。

特に大学院へ進学し、研究を志そうとしている人にとっては、東大あたりは外国語が2種類必要であるなど、外国語能力が「前提」として重要である場合も多いです。

したがって、将来は研究系を考えている人は、大学1,2年の間には少なくとも英語の読解力、意味把握力を、大学入試時以上に高める必要がありますし、3,4年においては、英語以外の外国語の基礎能力(これも特に読解力)を高めていく必要があるでしょう。

そんなわけで、大学生以上には、できるだけ早くから英語文献に慣れておくといいよ、と勧めておきたいです。

何を読めばいいかというのはあまり問題ではありません。英文学系を専攻するなら、英語の小説をどんどん読めばいい(というか読まなければならない)でしょうし。理系の諸学問であれば、その学問における基本的な概念を説明した教科書の「英語版」というものがあるはずです。力学にせよ、宇宙論にせよ、合成化学にせよ。

昔と違い、今はアマゾンで洋書がかなり安く買えますので(昔はホントに高かった・・・)、アマゾンで気の向くままキーワードサーチしてみるのも手です。そりゃ図書館に行けばさまざまな洋書がありますが、ゴリゴリ書き込みながら読む、ということは、借りる本ではできませんからね。

というわけで、私もシャーペンと辞書を片手に、英文をゴリゴリ読んでいます。「なぜ筆者はここでこういうことを述べているのか」という、「全体の中のここの位置づけ」を押さえながら読むことが重要なのだなと痛感しています。みなさんに負けないよう、私もがんばっています。

蛇足ですが、英語の専門書では、大学入試で学んだ文法ががっつり役立ちます。よく

「大学入試英語なんて実際にはつかわねーし!」

などという声がステレオタイプ的に聞かれますが、

「実際にしっかり使われてます。しかも、かなり複雑に。語彙は大学入試時よりもっと難しいのが普通です。」

と、落ち着いて答えてあげたいですね。

いずれにせよ、大学入試での努力が生きる分野ですから、大学生はぜひ早い段階から、英語の原書に取り組むようにしてみて下さい。

誰にでもすぐに尻尾を振る犬は

誰からもしっかりめんどうを見てもらったことがないのだろうな、としみじみと思う今日このごろです。

なぜか今年は特に、高3になってからまだ2ヶ月も経っていないのに、とにかく高い偏差値を取って、1回でも早く「上のクラス」に上がりたがる生徒が目立ちますね。

高2から高3に学年が上がるときに、どのクラスであれ、一度あるクラスに割り当てられたときは、まずはそのクラスで達成しなければならない「タスク」をイメージし、それを一つずつ達成していくことで、

・このレベルで必要とされている知識、思考法

を、頭だけでなく、体で感じ取れるようになるまでは、そのクラスに居続ける、というのが私にとっての常識です。言い換えれば、

「勉強における身体性」

となるかも知れません。

高3に学年が上がったときに、あるクラスに割り当てられたという事実は、その生徒の偏差値だけでなく、「この段階で必要とされている事柄をマスターしてから、上のクラスに上がってほしい」という教師やスタッフたちの判断が働いた上で「実現」されたわけですから、単に一回のテストでそこそこ高い偏差値が出たからと言って、上のクラスに上がれば、スムーズに「その生徒に必要なレベルの教育」が与えられるわけではないのですが、それを全く理解できない生徒が増えてきましたね。これも「ゆとり」の影響なのかも知れません。私が個人としてやっているブログでも書きましたが、あの朝日新聞でさえ、民主党と自民党が「増税」という方針が一致していれば、どちらが政府を掌握しても、あたかも同じ政策を、同じ効果で実施できるかのような錯覚を前提とした社説を平気で書いている。そこには、政治家だけでなく、官僚や現場の公務員でさえ、「顔」や「個性」が異なる、一人一人の「生身の人間」が存在している、という厳然たる事実をいとも簡単に無視できる心性があるわけです。偏差値さえ高ければ、誰に教わっても同じ。だから、偏差値が上がりさえすれば、上のクラスに上がってより良い指導が受けられる。そう思っている現代の高3生と全く同型の構造がそこにはあります。

学ぶという知的動作を行っている私自身は、他人とは違う「私」である。その「私」とは、他人とは何が違うのか。どういうクセがあるのか。ということを丁寧に見つめていこうという姿勢を、私は「学習の身体性」と呼びたいと思っています。「身体性」という言葉には、頭だけでなく体も重要、という意味だけでなく、一日一日、一瞬一瞬を「かけがえのない瞬間」として「固有のもの」として捉える認知能力も多分に含まれています。そして今の一部の高3生には、その「身体性」が決定的に欠けていると思うわけですよ。あたかも、「偏差値が高いのに基礎を固めるクラスにいたら時間がもったいない」という、ただ一次元的なモノサシしか持っていないかのようです。そういうモノサシがいつも前面に出てくる心理としては、他人より下のクラスにいると、他人より遅れを取っているかも知れない!という、これまた一次元的な、きわめて単純な「損得意識」が前提にあるということなのでしょう。

ただ、そういうのっぺらぼうのような子どもでも、いかにも現代的だと思うのは、お試しで上のクラスを受講するときにも、元のクラスでのプリントがもらえるかどうかを事前に確認に来るところですね。すなわち「保険」をかける、という作業には抜け目がないという点です。そりゃプリントはあげますが、それは在籍が「うちのクラス」だからであって、勝手に自分で上のクラスに「在籍」を変えた後はプリントなどあげるわけがありません。「このクラスにいるのがもったいない」と思って「上のクラス」に上がっているのですから(笑)。というか、そういう「保険かけ行為」自体が、相手である教師にとっては、

・あー、この生徒、こんなにバカだったんだ(笑)

と思われる行為そのものである、ということに想像が至らない点に、こういう生徒にトコトン「身体性」が欠けているなと感じるところですね。

さて、みなさんに「学習の身体性」なるものは備わっていますか?自分がこのクラスで学ぶ、という事実をどう捉え、活用すれば、効果が最大限になるか、ということを、頭だけでなく、他者との比較だけでなく、でこぼこした固有の自分、というスタート地点から考えることができていますか?

入試は、合格してからが大変なんだがなあ

私大入試もだいたいが終わり、国公立も後期の発表を待つ段階になりました。予備校でも、今年は何人も直接報告に来てくれて、大変ありがたいと思うと同時に、恐縮しています。報告ありがとう。

そのこととどのくらい関係があるかはわかりませんが、いろいろな塾や予備校の「口コミ」のサイトを見ると、とにかく第一志望校に合格できたかどうか、そのために塾や予備校が役に立ったか?という観点で語られているものが多いですね。

それはまあ、当然のことなのでしょうが、その「口コミ」には、中学受験のものがものすごく多い。ヘタをすると半分以上が中学受験に関する、お母さんやお父さん、あるいは関係者の口コミです。

中学生も少し教えているのでわかるのですが、いくら中学入試で第一志望校に合格しても、「その後のケア」がうまく行っていないと、塾ですらその子が「お荷物」状態になってしまうほど、見ていて痛々しい状態になってしまいます。

中学受験は、本人が勉強をいやがっているのにムリヤリやらせるようなものではないと私は考えています。中学受験のような勉強をいやがらないで楽しくやれるということ自体が、中学受験への何よりの適性であると考えています。ご両親が、大切なお子さんを公立へ通わせることの不安も痛いほど分かるのですが、公立中、公立高へ進学したからと言って、すぐに周りに「毒される」ということもなければ、そもそも周りが「毒」ばっかりなわけではありません。これは、公立中や公立高の生徒を教えていてもよくわかることです。要は、「うちの子は、いつの段階でロケットのように火がついて一気に進むのか」の違いなのだと思います。多くのお子さんにとって、それは大学入試でかまわないと思っています。

だからこそ、本人が努力して、中学入試で成功したのなら、なおのこと、その中学で教える内容を8割は消化できるように、適切な支えが保護者の側に必要になるのだと思います。その際に、家族や教師、友人が何を言っているのかを的確に理解する「国語力」は、前提としてどの科目より重要なのだなと感じます。おっと、これ以上は宣伝になってしまう(笑)。

そうなると、中学入試という道を選ぶということは、その後のフォローまでをも考えなければならないということになるので、私学で必要な学費の2倍くらいは、中学高校と必要になる可能性が出てきます。ということは、金銭的に豊かなご家庭でないと、なかなか中学入試は難しい、という結論にもなります。

大学入試も同じですよね。せっかく第一志望校に合格できても、その中でどんな勉強(本当は「研究」と言うのですが、そんなことハッキリ言ってどうでもいいです)をしたいのか、どんなサークルに入るのか、バイトはするのかしないのか、するとしてもどのくらいにするのか、などなどのバランスが重要になりますね。

たとえ経済的事情からバイト三昧状態になっていても、そういう自分を意識しながら、時間が空いたら何をやるか、ということを強く意識して過ごしていれば、ボケッと、ただ講義に出て、暇なときは講義中でもメールを送り合っている友人よりは、有意義な大学生活になると思いますよ。

今、多くの大学生が就職活動で困っているという現状も、少なくとも半分は、学生の側が「使えない」という状態であることが原因だと思っています。なぜなら、近くで社会人バイトとして見ている学生たちも、しっかりしている学生は、就職活動であまり困っていないからです。やはり見られるところは見られているのでしょう。

というわけで、こんなところで終わるといかにも就職対策として大学で勉強しろ!と言っているかのように読めるかも知れませんが、まあそういうメッセージも半分くらい含みつつ(笑)、大学にせよ中学にせよ、入った後のことをもう少し考えたらいかが?と言いたいわけなのでした。

長かったマラソンもようやくゴールへ

東大の足切り発表も終わりましたが、受験生のみなさんは、インフルエンザもうまくかわして「受験シリーズ」を何とか乗り切っているでしょうか。こちらは、通常の年ならかなり楽になる2月にも仕事が入り、なかなか白河塾のコンテンツも充実させづらい日々が続いています。

ただ、私が個人でやっているブログでは、時事ネタを中心に、私オリジナルの主張をふんだんに展開しているので、「ものごとの着眼点を身につけたい」という方には、そちらを定期的に読んでいただければ、と思っています。

口調こそ「バカ」だの「衆愚」だのたくさん出てきますが、そこにはしっかりと「根拠」をつけて持論を展開しています。小論文に役立てるためには、

・「こういう『根拠づけ』があって、こういう『主張』になるのだな」

という気持ちで読んでいただければ、言葉づかいのきつさは本質的な問題ではない、ということがきっと理解できると思います。

ではなぜ、言葉づかいがきついかですって?それは、定期的に根拠もなく「粘着」して来る人が後を断たないからです。例えばつい最近扱った記事でも、静岡県島田市が、岩手県のがれき(被災財)を引き取り、焼却処分する問題で、細野原発担当相が、

「みなさん、ぜひご自身で放射線量を測ってください」

と直接訴えかけているのに、

「いやです」

の一点張りで、なおかつ放射線量が低いことを最初から信じようとしない、いわゆる「どうにもならない人々」がいます。そういう人々が、私の記事に対してネガティブな感情を持ち、しつこく「つきまとい」行為をされると、私も大変な迷惑(=時間、労力的なコスト)を被るからです。

そんなわけで、最近はようやく「粘着」する人も減ってきたかな、というところです。現代日本語の読解ができない人が恨みを持つと、トコトン執着するという習性があるようですね。それがしばらく前からずっと問題になっている、ストーカー犯罪の根っこに存在するような気がしてなりません。

ところで、今年の東大の足切りラインは一般的に少し上がったようですね。数学ⅡBで混乱さえしなければ、なんとかクリアできるラインではないかと個人的には思っているのですが、東大をめざしている生徒さんは無事にクリアできたでしょうか。心配しています。

東大以外でも、そろそろ私大入試の大部分は終わり、いよいよ国公立二次試験が始まりますね。英語でも小論文でも、「書く時間」を必ず計算に入れて過去問を解き続けていれば、100%の力を出し切れなくても、合格ラインはきっと越えられると思っています。

今後は、白河塾でも英語のコンテンツを増やしていこうと思っています。内容はけっこうハードなものになりそうですが。というわけで、みなさんの健闘を心からお祈りしています。

もうすぐセンター試験!

いよいよ今週末がセンター試験ですね。

こちらも、正月以外はほとんど授業づめで、おちついて記事を書く時間も精神的余裕もほとんどない感じです。

今までセンター準備がうまく行っている人はその調子で波に乗っていただいて、ここでは、センターへの準備があまりうまく行っていないせいで、緊張が怖い!という受験生へ多少のアドバイスを。

まず、今から一科目をがっつり勉強しようとしても、なかなか身につきません。むしろ、ある程度集中して取り組んできた科目の「抜け穴」を見つけるような気持ちで、今までのテキストやノートを見る方が、精神的にも落ち着きます。

次に、センター試験当日は、受験生にとってはムダに休み時間が長く感じられます。だいたい各科目間が40分くらいでしょうか。その間に友達とつるむのは絶対にやめましょう。特に、「あの問題、どれにした?」的な、友達との自己採点は、本当は自分が合っていても、友達と答えが違うと自分がまちがっているように感じてしまいます。そうなると、次の科目へのモチベーションが落ちてしまいます。空いている時間の過ごし方として、「友達とつるむ」以外の何かができるように準備しておきましょう。最近受けた模試の問題を持って行くなり、ノートを持って行くなり。

最後に、休み時間に、つかれた頭をほぐし、頭の回転数をさらに上げるために、休み時間に飲んだり食べたりするものも調整しておきましょう。よく、「脳に糖分を送るといい」という話で、休み時間に糖分ばかり取る受験生がいますが、医学的には、脳に糖分を一気に送ると、その揺り戻しで、脳の糖分が一気に減るそうです。ですから、休み時間に飲んだり食べたりする糖分は、「そこそこ」で、タンパク質中心に何かが食べられればいいですね。

かく言う私は、授業の休み時間に、家で作ってきたカルピスを少し飲むようにしています。がぶ飲みすると逆効果なので、あくまでも「そこそこ」というのがポイントかな。これで、授業中に、頭の回転数が激しく落ちて、自分でも何をしゃべっているのかわからないという状況はほとんどなくなりました。おすすめです。

ま、なるようになります。結局は、図太い者が勝つのです。
プロフィール

・白河夜船

Author:・白河夜船
白河塾の塾長ブログをFC2ブログに引っ越しさせました。wordpressがアップグレードできず、書式をいろいろ変えたりすることが大変だったので。今後はTOEICなどにも役立つネタを書ければいいなあと思っています。

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